夕暮れの帰り道。同じクラスの女の子が私の前に立ちふさがっている。
話したことなど数回くらいしかない、ただのクラスメートだ。
「なに?」
精一杯にこやかに話しかけた。
意識しないと今の私は笑顔を保っていることができない。
彼女の後ろ手に持っているもののせいで、私の機嫌は最悪にまで落ち込んでいる。
リンゴのように顔を赤く染め、帰ろうとする私を呼びとめた時からだいたいの予想はついてたし、ね。
「こ、これ!ヒカリちゃんのお兄さんに渡してほしいの!!」
その手の中に会ったのは薄いピンク色の封筒に赤いハートのシール。
どんな鈍感な人だってわかるだろう、まぎれもないラブレターだ。
ここまでベタな手紙なんて逆にドラマや漫画でしかお目にかかれない気すらする。
イライライライラ
不愉快さを顔に出さないように必死で押さえる。
彼女のお願い事を叶えたくない一心で綺麗な正論を吐いてみた。
「いいけど…こういうのは自分で渡した方がいいんじゃないかな?」
「じ、自分でなんて渡せないよぉ…話しかけるだけで緊張しちゃうのに!!」
じゃあ渡すな。
「ふふふ、そうだよね。わかった。お兄ちゃんに渡しとくね」
「本当にありがとう!ヒカリちゃん」
イライライライラ
自分で渡すことすらできない気持ちに何の意味があるというのだろう。
いったいお兄ちゃんに何を伝えたいというのか。
その程度の気持ちなら心の中にしまっておけばいいのだ。
よかった、ヒカリちゃんがいてくれて!と無神経極まりないセリフを吐く少女に笑顔のまま最大級の殺意を向ける。
あぁ、視線で人を殺すことができたらどんなにいいだろうか。
遠ざかっていく彼女に手を振って、家への道を歩き出す。
彼女に呼び止められてから約二十分間。
時計を見やって溜息を吐く。
くだらないことで時間を取ってしまった。折角今日はお兄ちゃんが早く帰ってくるはずの日なのに。
お兄ちゃんは部活でいつも帰りが遅いから、こんな日は珍しい。
だから、今日は朝から気分がよくて、タケル君たちにいいことがあったのかと何度も聞かれた。
家を出ていくお兄ちゃんに一緒にサッカーのビデオを見ようと声をかけた。
とってもとっても楽しみにしてたのに。
彼女に任された使命を考えて、ほんの少しだけ帰るのが憂鬱になった。
男の子に生まれたらよかったのに。と、ときどき思う。
お兄ちゃんと一緒にサッカーをしている大輔君たちが死ぬほどうらやましかった。
守られてばかりの妹より、お兄ちゃんを守れる男の子になりたかった。
ロスした時間を少しでも埋めようと、心持ち早く歩く。
お兄ちゃんはもう帰ってきているだろうか。
小学校と中学校に分かれてしまった今では、一緒に帰ることもできない。
小学生のときだって、ほんの何年間かしか同じ帰り道ではなかったけど。
私の前を、数人の女の子が通った。
空さんと同じ制服を着た彼女たちはお兄ちゃんの中学校の生徒だ。
私よりずっと大人びているように感じる。
お兄ちゃんも彼女たちも私と三つしか違わないはずなのに、その差は果てしなく大きく見える。
いつか、お互いに大人になれば、三歳くらいは些細な差になるのだろうけど。
少なくとも小学生と中学生の間にはなかなかに大きな境目がある。
手の中の封筒に目を落とす。
お兄ちゃんもいずれはこんな風にラブレターをくれた誰かと付き合う日が来るのだろうか。
もしくはお兄ちゃんが想いをこめて手紙を書く日が…
あまりに当たり前すぎる想像に、私はしばらく茫然とした。
そして今まで私がその可能性に一生懸命眼を背け続けていたことに気づく。
けしてあり得ない話ではない。
いや、むしろもう起こっていてもおかしくはなかったはずだ。
あの冒険から3年がたち、お兄ちゃんは中学生になった。
好きな人ができることも誰かと付き合うこともあり得ない想像ではないのだ。
私は少しずつ大人になっていく。
だが、それと同様にお兄ちゃんも大人になっていく。
この差はけして埋まることはない平行線。
ずっと隣に寄り添っているのに、どんなに頑張っても近づかない。
沈みかけている太陽を見ながら考える。
いつかお兄ちゃんに好きな人ができたとき、私はそれを祝福することができるだろうか。
笑顔で彼に、笑いかけることができるのだろうか。
握りしめられたラブレター
(手の中にある一枚の封筒が、とてつもなく重く感じられた)
加筆修正:2010/8/26