日英同盟は終わりを迎えた。
私はどれだけの国を裏切ってきたのだろうか。
私はどれだけの国を裏切ればいいのだろうか。
カツン。カツン。
冷たい廊下を歩く私の足音だけが嫌に響く。
低く響いたそれは周りの無音をやけに強調して、ただでさえ重い心が更に滅入った。
宣戦布告した。もう戻れない。
彼は決して裏切った私を許してはくれないだろう。
かつての彼の弟と同じように彼を裏切りまた一人ぼっちにした私を。
仕方ないのだ。わが国には他の列強のような植民地がない。
私はどうしても植民地が欲しい。
私の愛する国民を守るために。私達がこれからも生きていくために。
私は行く先がどれほど血にまみれようとも進むしかないのだ。
たとえ、この先が何もなく崖っぷちに立たされたとしても。
過ちを認めるにはもう遅すぎたのだ。
立ち止まりたい気持ちを抑えて、ひたすら廊下を歩き続ける。
後悔などしない。私は前に進んでく。
しかし、あの碧色の目がもう見られないのは、それが、なぜだかすごく悲しかった。
「おい、日本?そんなに見られると食べづらいんだが…」
庭で優雅に紅茶を飲みながらスコーンを食べるイギリスさんはとてもきれいで、
なぜか目が離せなかった。
あの、碧色の瞳が、私を映す。
自分の真っ黒な眼や髪を嫌だと思ったことはない。彼だって神秘的で嫌いじゃないと言ってくれた。
けれど、彼の弟のような空色の瞳が欲しくなかったわけじゃない。
彼の、美しすぎるエメラルドのような瞳に憧れなかったわけじゃない。
「すみません。イギリスさんがあまりにきれいだったものですから」
つい、見とれてしまいました。と言えば返ってくるのは焦った声。
「な、何言ってんだよ!か、勘違いすんなよ、お前のほうがきれいだなんて思ってないんだからな!!」
揺れる碧色の眼を、じっくり見てみたいと思った。
「不躾で申し訳ありませんが、イギリスさんの目をもっとよく見せていただいてもいいですか?」
「だ、だめだ!!」
「そこをなんとかお願いできませんか?」
でも、どうしても見たいのだ。
「うっ、少しだけだぞ。お、お前があんまりしつこいから仕方なく見せてやるんだからな!!
お前のためじゃなくて俺のためなんだからな!!」
お得意の素直じゃないセリフ。
赤くなった様がかわいらしいと言えばまた気分を害されてしまうのでしょうね。
ああ。いけない。こんなことを考えている場合じゃない。
彼の気が変わらないうちに見せてもらわなければ。
「ありがとうございます、イギリスさん」
彼の瞳を見つめる。碧色の瞳。きれいだと思った。欲しいと思った。
人魚姫が声と引き換えに足を手に入れたみたいに、この眼と引き換えなら何を手放してもいい気がした。
彼の瞳に自分が写っている。自分の瞳には彼が写っているのだろう。
あまりに、残酷なほど、優しい時間だった。
この時が止まれば良いと、愚かなことを本気で思った。
カッカッカッ。
聞きなれた足音が響く。
(あぁ、彼は私を追いかけて来てくれた。こんな自分を。彼を見捨てた私を)
途方もない喜びが私の体を巡る。
もう、十分ではないか。素直にそう思う。
これだけで、こんな自分にはあまりに過ぎた幸福だ。
「おい、日本。どういうことだ」
私に追いついたイギリスさんが肩をキツク掴む。
「そのままの意味ですよ、イギリスさん。私はもう貴方達の支配は受けない」
決心を鈍らせないように、冷たく言い捨てて肩の手を払う。
そんなことは思っていなかった。
彼は私を大事にしてくれたし、私は彼が好きだった。
彼のもとを離れたいなどと、一度たりとも思ったことはなかった。
「考え直せ、日本。今ならまだ何とかなる。俺が、俺が、どうにかしてやるから…!」
叫ばれた言葉は、あまりに苦痛に満ちていた。
彼の弟が、離れて行った時の事がよぎっているのかもしれない。
「すみません。でもどうしても我々には植民地が必要なのです」
けして振り返らないように自分に言い聞かせながら、彼に背を向けた。
できることなら甘い毒のような彼の提案に縋りつきたかった。
怖いんです助けてくださいと、彼にすべてを打ち明けたかった。
でもそんなことはできない。
わかっていたはずじゃないか。いつかこんな日が来ると。
もう、俺たちは終わりなのかと、彼の声が後ろから聞こえた気がした。
独りで月を見つめながら彼のことを想う。
今思い返せばあの時、二人で笑いあえてた時に。彼に背を向ける前に。
「もっと、あの眼をよく見ておけばよかったですね」
もしあの時本音を言えていたのなら、何かが変わっていたのだろうか。
今なら言えるだろうか。もうあまりにも遅すぎた言葉だけど。
イギリスさん。
私だって、本当は…
私だって終わらせたくなんてなかった
(永遠なんて馬鹿みたいなことを願っていた)
加筆修正:2010/8/29