眼を閉じて、シャワーの熱いお湯を存分に浴びる。
肌に感じる熱さに、頭の中がすっきりする気がした。
そう、自分はこれから多くのことを考えなくてはいけないのだ。
テストでもないのに頭を使わなくてはいけないなんて、と皮肉な現実に場違いな苦笑が漏れる。
しかし、こればっかりは弱音は吐けない。
ここには彼を守れる人間が、私しかいないのだから。

これからのことを考えなくては。




幸村冬夏。私たちの中に入ってきた不穏異分子。
血の匂いなんて感じさせない、でも確かに不自然な少女。

私の中の狂戦士のセンサーが鳴り響く。




油断するな。気を許すな。躊躇うな。先に動け。




いくら師匠が隠そうとしたって、タダものじゃないことくらい気づいてる。
彼は知らないだろうが、気づいていることに気付かせないのも得意なのだ。
少しの間とはいえあの人類最強をだましたくらいに。

(まぁ、すぐに気付かれたんですけど)

ヒトゴロシをかぎ分けるくらいお手の物だ。どれくらいあの狂った学校にいたと思っている。
日常に埋没するには、自分はもう終わり過ぎてた。


彼女が何者かはわからないが、もしあの人が言ってた匂宮だとしたら厄介だ。
なにせ序列1位。その中でも最終兵器と名高いマンイーターなんて相手が悪すぎる。
 ジグザグ
《病蜘蛛》と呼ばれた自分でも敵うかわからない。
こんな時ばかりはすべてを見通すかつての先輩の頭脳が、策が欲しいと思った。 しかし、負けるわけにもいかない。ここには彼がいるのだ。彼だけは、守らなくては。


師匠だけは。

あの人のことを考えると、少しだけ心が軽くなった。
私を助けてくれた人。私に世界を見せてくれた。ともに、楽しいことをいっぱいしようと言ってくれた。
意地悪で、優しくなんてなくて、どうしようもない人だけど、とても、とても好きだった。
彼が一番に思うのが自分じゃなくても、そばにいたいと思っていた。
だから、守る。それだけのこと。



決意と共にシャワーのコックをキュッと締める。
鏡に映った自分が恐ろしいくらいに無感情な眼をしていてぎくりとした。





たぶん向こうも気づいてる。
私に染み着いた血の匂いは隠し通せるものではないだろうから。
彼がお風呂に入った隙にそっと部屋を抜ける。
枕に布団をかぶせておいた。
なんだかんだで優しいあの人は、寝入った連れを起こしやしないだろうから。
つまらない工作だが、一晩隠し通せれば十分だ。
明日にはすべてが終わっている。いや、終わらせる。


彼に気付かれてはいけない。彼にだけは。





頭をかつてのそれに切り替える。
同じような立場なのだ。大体の想像はつく。
何かあるとしたら、夜。場所は…おそらく庭。

冷たい沈黙の中、彼のいるであろう部屋を振り返る。
どうせなら、なにか気の利いた事を言えばよかった。 忘れっぽい人だから、下手すると私の存在なんかすぐ忘れられてしまうかもしれない。
それなら、何か彼の心に残ることを言って少しでも彼の中に残りたかった。






「よぅ。おじょーちゃん。子供はもう眠る時間だぜぇ?」

ぎゃはは、と笑う幸村さん。いえ、私の、彼の敵。
向こうも、もはや隠す気はないのだろう。

「寝ている場合じゃ、ないですから」

ジグザグを構える。油断はできない。
草むらから、もう一人出てきた。同じ顔。そうか二重人格ではなく双子だったのか。
でも関係ない。何人来ようと同じこと。
今さら、人数くらいで怯むつもりはない。

残った左手を使い、ジグザクを幸村さんの首に巻きつける。
もう、右手は使い物にならない。でもまだやれる。
幸村さんの首に巻きついた糸を引いた瞬間、左手が燃えるように熱くなった。
飛んだ彼女の首と私の左手。痛みに気が遠くなる。でもまだあと一人いるのだ。彼女も倒さないと。
倒れこみそうになる体を気合いで支え、幸村さんの方に駆け寄った彼女に向き直る。



「もうよせよ。両腕なけりゃ自慢の糸も使えないだろ?」

幸村さんを抱えた彼女がツかれた様に言う。しかしまだ終わらせるわけにはいかない。
お互いやめるつもりなんてないでしょう。
倒さなければ。倒さなければならないのだ。
彼のために、私のために。

「まだ、まだですよ。貴女の意図も、ここで切れます」

攻撃をくらって吹っ飛ぶ。あの細い体のどこにそんな力があったのだろう。
彼女が私の前に立つ。もう終りなのだろうか。

まだ、終わっていないのに。
まだ、もう一人を、倒しきれてないのに。
まだ、死ぬわけにはいかないのに。

まだ、まだ、彼に伝えたい言葉があるのに。



「特別サービスだ。最後に遺言くらい聞いといてやるよ。言いたいことは?」

目がかすむ。頭もくらくらする。

「まだ生きてんだろ?答えろよ」

私のすぐ近くまで寄って来てしゃがみ込む。


言いたいこと?

そんなのたくさんあるに決まってる。
まだアパートのみんなにサヨナラも言ってないし。彼に気持ちを伝えてもいない。
約束を破ろうとしたことも、彼をだましたことも謝らなくてはいけない。


でも、最後にひとつだけ言えるのならば。




最後の力をふり絞る。
かすれた声は彼女に届くだろうか。

なかなか答えない私に、彼女はひとり納得したようにつぶやいていた。


                        シグナルイエロー
「紫木一姫ねぇ。なるほど。あんたがあの《危険信号》か」

その言葉に言おうとしていた言葉を飲み込んだ。
変わりの言葉を必死に届ける。

「ち、ちが、い、ますよ」
「あん?」


もう少し、がんばって。あと一言で良いのだ。

私の誇り、私の証明を。


「ざ、ざれ、戯言、遣いの、弟子、で、す」

よ。と最後はもう聞こえなかったかもしれない。





あんなにも多くの人を殺した自分が平和にいつまでも生きていけるわけがないとは思っていた。
幸せな日常がどんなに脆いものかも知っていた。

それでも、彼のそばはあまりにも温かくて幸せだったから。
それこそ蜘蛛の糸のような脆い夢にしがみ付いていたかった。

彼を守るために死ねることに、後悔はない。


ただ、できることなら彼に言いたい言葉があった。
それだけが、心残りだ。






彼が、初めて世界を見せてくれた。

彼が、初めて見た世界だった。









貴方に会えて本当に幸せでした

(もう、伝えることはできないけれど)




















加筆修正:2010/8/5